第1回目 BLOG

(株)オフィスマレン / (株)クロスワン代表
柴田 英里 / Elizabeth Shibata

東京生まれ
ASIJ(American School In Japan) Alumni 1966
UNIVERSITY OF LUZERN(スイス)/ST.MARTIN‘S SCHOOL OF ARTS. LONDON(イギリス)
上智大学国際学部(日本)
ニューヨーク・フィルム・アカデミー、短編映画制作学科(~2002)
日華文化協会理事
著書 チェルカミ(ロコモーションパブリシング) マッカーサーのラブチャイルド

イギリス・オーストラリアで高校生活を送り、英語・日本語を日常語とし、その他イタリア語、ドイツ語 広東語 スペイン語 韓国語など多岐にわたる語学力を生かし、ワーナー(日本)に入社、その後渡英し、アイランドレコードに入社。日本人女性初の英国ロック(レッド・ツェッペリン他)宣伝担当として、多くのマネージメント会社と契約。帰国後、CBSソニー国際部を経て、ポリスターレコードに入社。キョードー東京出向中に、谷村新司『昴』の海外進出や、アイドル歌手のアジアツアーなどを担当、また韓国歌手チョー・ヨンピルと出会い、日本でのマネージメント・プロデューサーとして『釜山港へ帰れ』を広めた初代韓流ブームの生みの親とも言える。

ポリスターレコード洋楽部に戻り、U2を担当。公私ともに親交を深め、Ellie Shibataマネージメント(現在のオフィスマレン)を設立。そこで今なお、不動の人気を誇る「アジアの歌姫」フェイ・ウォンの日本進出を手掛け、ゲーム「ファイナルファンタジーVIII」エンディング曲「Eyes On Me」でオリコン洋楽チャート19週連続1位を獲得、99年日本レコード大賞アジア音楽賞受賞。中国人アーティストとして初めてとなる武道館コンサートを成功させる。また、フェイ・ウォンをドラマ「ウソコイ」に主演させ、中井貴一仲間由紀恵らと共演させるなど女優としての活動をサポートし、アジアアーティストの日本進出における道を切り開いた第一人者。

その後、訪問中の韓国にてデビューまもないRainを見出し、Rainの日本デビュー及び香港・台湾などのアジアデビューを手掛ける。同時に、日本人アーティストの欧米デビュー及びアジア進出をサポート。現在はアーティストの発掘・プロデュース活動と、兼ねてから親交の深いウォン・カーウェイ監督との映画談議、ハリウッド映画、香港映画へのキャスティングサポート、作家として執筆業を行うなど幅広く精力的に活躍中。

レコード会社に働く傍ら、文筆業にも勤しんできた私は、1990年代に、6年間、北海道新聞に隔週でコラムを頂き、オリコンでは先代小池聡行社長の計らいで2009年までの15年間、隔週で「ドラゴンの耳〜Eear of the Dragon」を掲載させていただきました。かつて日本を席捲したハリウッド映画「Year of the Dragon 」,香港出身の俳優ジョン・ローン、ハリウッド・スター、ミッキー・ローク共演作品に触発されたタイトル、Year のかわりにear of the dragon, アジアを中心とした音楽芸能情報から社会派にいたるまで、長年多くのエピソードを披露してきました。時には爆笑ストーリイあり、時にはシリアスな「アジアの中の日本」あり、かなりな反響はありました、が、先代も黄泉の国に去り、自分の仕事がKポップブームを日本に拡めることとなり、諸事情もあって連載を中止することになりました。その後、たくさんの業界関係者から「ほかで書いたら」「ブログを立ち上げたら」と声を頂き、最近は、「アジアだけではなく、世界に日本のアーチストを売り出すための原点などを伝えてほしい」と尊敬する先輩から強く勧められ、締め切りのプレッシャーとは関係のないところでブログに書くことを決めました。

また日本と台湾の密接な関係を促進してきた日台文化交流協会「櫻梅通信」に長年、執筆連載させていただいており、政治や経済、アカデミックな世界の諸先輩方からも
執筆に対する激励を頂き、戦後派第一世代として、日本、日本人としての自分、アジア、世界の中の日本と日本人、など、音楽芸能にかかわらず、あらゆる分野の「悲喜こもごも」をつれずれなるままに・・・・書き、伝達したいと考えております。

実はフェイスブックで一時期、シリアやパレスチナの悲劇に対する憤怒の情を述べたところ、反戦の気持ちで書いたつもりが、特定の国家に対する非難と受け止められた
らしく、誰がどこで見ているかわからない恐怖を感じて、それらの気持ちはブログで表現することに決めました。もちろんブログも誰もが見ることができますが、フェイスブックの場合、友人の半分が海外におり、拡散の仕方も異常なのです。あえて、このブログは日本語のみでしか書きません。英語での自動翻訳は何としてもやめていた
だきたい、機械は情というものをもっていませんから、まともな翻訳機に出会ったことがありません。どうしても、英語の翻訳が必要な方は私に連絡ください、状況によって要約文を送ります。

私は日本の教育は中学校までで、高校から英語で育ちましたため、表現法が日本的でないとも言われますが、その点は十分にご理解ください。

過去15年の間に3冊出版させていただいております。3冊以上出さないと作家とは言えない、と聞きましたので、一応、私はミニチュア(アマチュアではなく)作家と言えましょう。

2番目の本は、村上春樹さんの編集者だった故岡みどりさんによる作品で、あえてペンネームを使ったものです。ドラッグへ文化へのオマージュではなく、アンチテーゼ
であることがタイトルゆえに、なかなか理解されず、それでも数万部売れたそうです。タイトルを変えて、一部加筆して再発行の予定があります。

そのときは、またブログやFBでお知らせいたします。